質問その1 共産主義とは何?
共産主義はプロレタリアートの解放の条件の主義である。
質問その2 プロレタリアートとは誰だ?
プロレタリアートは資本から利益を取らないで、労働を売ることだけで生計する、苦楽・生死・存在そのものが労働の必要、というと景気の良し悪しの入れ替わり、野放しにされた競争による社会の階級である。プロレタリアート、またはプロレタリアート階級は一言で言えば19世紀の労働階級である。
質問その3 そうだとしたら、プロレタリアートは昔から存在していたのではないか?
否、貧しい階級も労働階級もいつだって存在していたし、労働者の階級も大体貧しかった。しかし、先述の状況下で存在していた貧しい人や労働者はいなかった。つまり、競争が無制限で野放しにされていなかったと同様に、プロレタリアートもなかった。
質問その4 プロレタリアートはどのように生まれた?
プロレタリアートは18世紀の後半にイギリスで起こった産業革命に生まれて、文明国で次々と繰り返されてきた。その産業革命は蒸気機関、紡績機、力織機、等の機械の発明によるものであった。それらの機械は値段が高く、大資本家だけが購入することができた。機械が作った商品は労働者が至らない紡績や織機で作った商品より質が高く、値段が低く生産出来ていた。故に、今までとの生産の仕方が変わり、以前の労働者を押しのけた。それらの機械は全産業を大資本家の所有物となり、、労働者の貧弱な道具の価値を皆無にした。やがて資本家はすべてを所有し、労働者には何も残らなかった。そして、繊維工業の工場化が始まった。
機械と工場システムの時代刺激に移り変わってからが与えられてから、次々と他の業種(特に布、活版、陶器と金属工業)の工場化も始まった。労働はどんどん分断されて、以前品の全体を作った労働者は今その一部しか作らなくなった。この労働の分断によって産物はより早くて安く生産できた。労働者のやることはとても単純で何度も繰り返される行動で、機械でも同じぐらい、いや機械の方がよりよくできる作業となった。こうしてこれらの工業は次々と蒸気・機械・工場システムは紡績と織りと同じように
支配されるようになった、 同時に大資本家の手にも渡った、そして労働者は最後の僅かな自主を失った。徐々に大きい工房だけじゃなく、手芸のすべてがより安く、労働を分断出来る大資本家の工場に追い抜かれ、入れ替わった。こうして文明国のすべてでほぼすべての労働が工場で行われるようになった。そしてほぼすべての手芸が工業に取って代わった。この過程によって今までの中産階級・特に小さい職人がより一層滅び;労働者の生活状態を全体的に変え;そしてすべての階級を飲み込む二つの新たな階級が生まれた。その階級とは:
1。大資本家の階級、というのは全文明国でほぼすべての生活手段とその手段を生産するために必要としている原材料と器具を所有している階級だ。それは有産階級、またはブルジョワジー
だ。
2.何も持たない階級、というのは有産階級に労働を売る引き換えに生活手段を貰う階級だ。それは無産階級、またはプロレタリアート だ。
質問その5 この無産階級から有産階級への労働の販売はどのような状況下で行われている?
労働もまた商品の一つなのでその値段も他の商品と同様に定められている。大企業の支配下や自由競争では商品の値段は、これまでの説明でわかるように、いつも平均で生産の費用と同じである。そのため、労働の値段も労働の生産費用と同じである。この労働の生産費用はちょうど労働者を働けて、絶えないだけの生活手段である。ゆえに労働者は生存に必要としている以上の代価を貰うことはない;ゆえに労働の値段、つまり給料は一番低い・最低限の生存に必要としている代価だけである。しかし、経済にいい時と悪い時があるから、労働者が貰う代価も増えたり、減ったりする;工場の所有者が商品の販売で貰う代価が増えたり、減ったりする同様に。だが、工場の所有者がいい時と悪い時の平均として貰う代価が商品の生産費用より多くも少なくもないように、労働者が貰う代価もこの最低限より多くも少なくもない。この給料の経済法はすべての生産の業種の工場化が続くほど厳重になる。
質問その6 産業革命の前にどのような労働階級が存在した?
労働をする階級は社会の発展のレベルによって異なる状況で活きていて、支配をしていた階級と異なる関係にあった。古代には労働をする者は支配する者の奴隷であった、今の未開である国々でも、米国の南部でもそうであるように。中世には土地を所有していた貴族の農奴であった、今のハンガリー、ポーランドやロシアがそうであるように。それに中世から産業革命までには市内では小ブルジョワの職人に弟子入りしていた労働者もいて、やがてマニュファクチュアの発明とともにそこに働く者もより大きな資本家に雇われるようになった。
質問その7 プロレタリアと奴隷はどう違う?
奴隷は一度売られるだけで、プロレタリアは毎日、毎時間自分を売る必要がある。個人の奴隷・主人の所有物は既に主人の利害によってどれだけ惨めであっても生存が保証される。その一方、個人のプロレタリア・言うなれば有産階級全体の所有物は必要としている時だけに労働が買われるので生存が保証されることはない。その保証は階級全体にしかない。奴隷は競争の外部にあって、プロレタリアは中にあって、競争の揺れを全部感じられる。奴隷は平民社会の一員ではなく物と扱われている。その一方、プロレタリアは人として、平民社会の一員として見られている。
すなわち、奴隷はプロレタリアよりいい生活をすることはあるが、プロレタリアはより発展された社会の一員で、奴隷のより上の階級にある。奴隷の解放は私有財産関係の中から奴隷関係だけをなくしてプロレタリアになることだ。その一方プロレタリアの解放は私有財産そのものをなくすことしかない。
質問その8 プロレタリアは農奴とどう違う?
農奴には所有物も生産道具の使用、言い換えれば土地の一部を労働釈�蓿繙就�粮㏍芍��轣蛹≒鳫�笏蜿遐�竚癈鷭∂焜聨纃瘟赧漓�籬�㏍聽轣蛹就鰻崖軍崖過崖宜儀街乙汲⊂桿轣蛹Γ蔚飴頏阡繝�籟鹿畩の一部と交換して貰っている。プロレタリアは他の人の道具を使って、他の人の利益のために、成果の一部を貰っている。農奴は譲る、プロレタリアは譲ってもらう。農奴には存在が保証されている、プロレタリアには保証されていない。農奴には3つの解放手段がある。第1、町に行って職人に成ること。第2、主人に労働や商品ではなくお金を上げる事で自由の借り手になること。第3、主人を追い払って、自ら主人に成ること。すなわち、農奴は有産階級と競争に入ることで解放される。プロレタリアの解放手段は競争、私有財産、そして全ての階級の違いを無くすことである。
質問その9 プロレタリアは職人とどう違う?
本原稿では応えは書かれていない。共産主義への信仰告白の下書き「DE Entwurf eines Kommunistischen
Glaubensbekenntnis」「EN Draft of a Communist Confession of Faith」を見れば読める。
質問その10 プロレタリアはマニュファクチュアの労働者とどう違う?
16世紀から18世紀までのマニュファクチュアの労働者はほとんどの場合に何らかの所有物が残っていた。例えば自分の機、家族の紡車、余暇で働く小さい畑。プロレタリアにはどれもない。マニュファクチュアの労働者は田舎に住んでいて主人や雇い主と多少の家父長制に活きている。プロレタリアは大抵町に住んでいて、雇い主との関係は純粋なお金の関係だ。マニュファクチュアの労働者は大企業によって家父長制から引き出されて、残っていた所有物を失って、プロレタリアとなる。
質問その11 産業革命と社会のブルジョワとプロレタリアへの分裂の最初の結果は何?
第一、機械化によるどんどん安く成っていく産業の商品の値段が全世界の古いマニュファクチュアや手芸を基にしている産業を完全に潰した。今までに世界の発展から多少閉ざされて、今までマニュファクチュアを基にしていた全ての半文明国はこれにて強制的に世界と繋げられた。その国々はイギリスの安い商品を買い、自国のマニュファクチュアを絶えさせた。こうしてインドみたいな何千年も進歩していない国々は隅々まで革命された、中国でさえ革命を迎え始めてる。イギリスで発明されるたった一つの機会が一年間以内に中国で何百万人の労働者を無職にするような状況に至っている。このように大企業が世界中の全ての民族を繋げた、全ての地方市場を世界市場に投げ飛ばした、どこにでも文明と発展の準備をした、文明国で起きることの全てが他の国々に影響するようにした。ゆえに今日、イギリスやフランスで労働者が自分を解放するとしたら、他のすべての国々にも必ず革命が起きて、そしてそのうちにそこの労働者も解放する。
第二、大企業がマニュファクチュアを押しのけたところの全てにブルジョワジーが自分の富と権力を最上級まで発展させて、そして国内でトップ階級とした。その結果として、この出来事が会ったところの全てにブルジョワジーは政権を得て、今までの支配者階級、貴族、ギルド・マスター、そしてそれらの代表である絶対君主を押しのけた。
ブルジョワジーは長男相続と屋敷を非売品、そして貴族権限の全てを破棄したことで貴族の権力を破壊した。ギルドをすべて解散し、その手芸権限を破棄することでギルドのお偉い人の権限を破壊した。それらの変わりとして、自由競争を据え付けた、というと誰にでもどんな業種をやってもいい、誰も企業を運営したければ止められない、自分の財産不足以外は。
自由競争の導入は以下の公式宣言である。これからの不平等を決める唯一の基準は資本となり、支配する力は資本、というと資本家・ブルジョワジーが1位の階級となった。しかし、自由競争は大企業の始まりには不可欠だ、なぜなら自由競争の社会状態でしか大企業が成り立たない。ブルジョワジーが、貴族やギルドマスターの社会的権力を滅ぼした後に、それらの政治的な権力も滅ぼした。社会で1位の階級となったときに、政治的にも1位の階級だと宣言した。それをなしたすべは法律の前でブルジョア的な平等さ、法律による自由競争の認めを基づく代表制の導入である。この制度はヨーロッパでは立憲君主制であった。それらの立憲君主制ではとある金額を持っている者だけが投票者である、すなわちブルジョワジーだけだ。これらのブルジョワーは代表を選挙する。そしてブルジョワの代表は租税を拒むことでブルジョワな政府を選挙する。
第三、どこもブルジョワジーを作っている程度と同じ程度でプロレタリアートを作っていた。ブルジョワジーがお金持ちになっていくほどにプロレタリアーは多くなった。プロレタリアは資本からしか仕事をもらえないことと同様に、資本は労働者を働かせることでしか増さない、だからプロレタリアートの増殖は資本の増殖と全く同じ速度である。同時にブルジョワとプロレタリアを企業が一番効率的に出来るために町に惹く。そして大勢のプロレタリアを併せることでプロレタリアに自分の力を感じさせる。さらに、企業が進化していくほどに、手作業を押しのける機械が発明されていくほどに、前に説明したように給料が最低限まで減らされていって、プロレタリアートの有様をどんどん堪らなくする。こうして一方でプロレタリアートを不満にしていって、他方でプロレタリアートを大きくしている力で、プロレタリアートによる社会の革命を揃えている。
質問その12 さらなる産業革命の結果とは?
大企業は蒸気機関と他の機械の発明によって短い間に、安く工業生産を無限に増殖させるすべを作った。この大企業から必然と生まれた自由競争は生産のやりやすさで早くも激しくなった。大勢の資本家は企業を侵略して、しばらくしたら必要以上の商品を作っていた。その結果として、作った商品は売られなくて、いわゆる商売危機となった。工場は停止し、その所有者は破産し、労働者はパンがなくなって。最大の哀れとなった。しばらくすると、作りすぎた商品は売られ、工場は働き始め、給料が上がり、経済が一層良くなった。当分経って、また作りすぎた、新しい危機となって、繰り返していく。こうして世紀の始まりから企業の豊と危機の繰り返しとなって、5,7年間ごとに労働者にとって新たな最大な危機が革命的熱気と現在の状況を今までになかった危険を意味した。
質問その13 この繰り返されている商売危機はどんな結果を起こした?
第一、大企業は自らの第一段階にて自由競争を作ったのに、今になって自由競争を卒業している。競争と、ことごと個人のために運営されている工業生産は、砕く必要のある、そして砕くことが必然である、束縛となった。大産業は現在の基盤に建っているかぎり、5,7年ごとに繰り返される混乱をとおしてしか生き延びれない。その混乱は毎回文明自体を危うくする、そしてプロレタリアーだけじゃなくて、多くのブルジョワも破滅させる。すなわち、大産業自体を諦めるか、が、それは絶対に不可能だ、か、個人として競争する企業主ではなく、社会全体が計画を持って、必要性に応じて産業をする、と言うような新たな社会の構造を必然とする。
第二、大産業とそれが起こす生産の拡大が、誰も自分の力と才能を自由に発展できることを可能にするほど、全ての生活要求が満たすような社会の有様を可能にする。現在の社会で全ての苦しみと商売危機の原因はまさに別の社会制度でその苦しみと苦しみを起こす競争の揺れを破壊する。ゆえにこれが明らかになっている:
1.これからは苦しみは現在の状況に不適当である社会制度のせいであること。
2.新しい社会制度を作って、苦しみを止めることができる。
質問その14 新しい社会制度というのはどういうものか
産業と全ての業種の運営はお互いに競争しあっている個人から奪って、社会の全てで運営する、というと全員で払って、全員で作った計画をもとにして、全員が参加する形で運営する。すなわち、競争を破棄し、共同体を作ることだ。さらに、産業の個人運営が私有財産を必然にしているから、競争が個人所有者の運営の仕方でしかないから、私有財産は個人運営から引き離せないことが分かる。ゆえに私有財産も廃棄して、代わりに共通の生産手段の使用と共通の同意をもっての分配をする必要がある。実際に私有財産の廃棄は一番短くて大切な、工業の発展が必然とした社会制度の変化の特徴である。ゆえに正しく共産主義者の本要求である。
質問その15 以前も私有財産の廃棄は可能ではなかったのか?
いな。全ての社会の変化、所有関係の変化は以前の所有関係に合わなくなった生産力の変化の結果であった。私有財産もこうして生まれた。なぜなら私有財産も昔から存在しているわけではなく、中世の終わりに向けて、マニュファクチュアという封建的なやギルドの所有関係に合わなかった新しい生産のしかたが生まれたときに私有財産という新しい所有関係を生み出した。マニュファクチュアと第一段階の大産業には私有財産しか所有関係が合わなかった、私有財産を基にした社会制度にしか合わなかった。全員分の生産物だけじゃなくて、それ以上に生産手段を拡大するほどの余りが存在しない限り、生産力を所有する弾圧する階級と、貧乏で弾圧されている階級が存在する必要がある。それらの階級はどういった形をするのかは時の発展レベルによるのだ。農業を中心にした中世は男爵と農奴。中世後期の都市はギルドマスター(師匠)、職人「弟子」と、風太郎(師弟外の労働者)。17世紀はマニュファクチュリストとマニュファクチュア労働者。19世紀は工場家とプロレタリアー。
今までは生産力が全員分の生産物を作るほど発展されていなかったことと、私有財産が生産力の発展の束縛となっていることは明確である。しかし、工場化によるかつてなかった大量の資本と生産力が作る生産物のある今、その生産力を短時間で無限に増加するすべがある今、その生産力が数名のブルジョワの所有物になりつつあって、プロレタリアーは日々苦しみが増している今、ブルジョワの財産が増加している今、どブルジョワの手に余っている生産力が常に危機を起こしうる今、その今に私有財産の廃棄は可能になっただけではなく、廃棄が必要となった。
質問その16 私有財産の廃棄は平穏に行われるのでしょうか?
それが可能であると願うべくではあるし、共産主義者はそれに反することはありえない。共産主義者は知っている、陰謀は無意味だけじゃなくて、害ですらあると。革命は意図的に起こすものでも、勝手に起こるものでもなく、必ずいつでも党や階級の意志と関係なく社会の有様に応じて必要となった結果であった。
共産主義者はプロレタリアートの発展が暴力をもって抑えられていて、それにて共産主義者の敵は全力で革命を発展している。こうしてプロレタリアートは革命までへと追い詰められれば我々共産主義しゃは今、言葉でプロレタリアートを庇っているように、その時行いで庇うことに成る。
質問その17 私有財産の廃棄は一打ちにて可能でしょうか?
いな、共産主義の社会が必要とする生産力が一打ちで増やせないと同じようである。十中八九起こるプロレタリアートの革命は徐々につしか社会を変えられないでしょうし、私有財産も生産力が足りてこそ廃棄できるのでありましょう。
質問その18 この革命の経路は何でありましょうか?
何より、民主憲法を通して直接や関節的にプロレタリアートの政治的支配を作るのだ。プロレタリアートは既に大半であるイギリスでは直接に。
大半はプロレタリアートだけではなく、プロレタリアになる途中で、政治的の利害がプロレタリアートにかかっているから、そのうちプロレタリアートの要求を受け入れるしかないである小百姓や小ブルジョアもいるフランスやドイツでは間接的に。そこには2つ目の戦いも必要となるかもしれないが、その戦いもプロレタリアートの勝利でしか終わることはありえない。
すぐに私有財産への対策とプロレタリアートの存在を保証する政策をしない限り、民主はプロレタリアートにとって全く価値がない。現状況でも既に必要とされている、一番重要である政策とは:
1。私有財産を制限する累進課税、厳しい相続税、傍系の遺産の破棄(兄弟・甥・など)、強制国債、など。
2.地主、工場家、鉄道主、船主の徐々に行われる、国家の競争や直接に証券での収用。
3.移民や国民の大半に対する反逆者の持ち物の没収。
4.プロレタリアの公有地、工場や工房での労働や職の構成。こうして労働者同士の競争を破棄し、残った工場家を国と同じく高い給料を出さないといけなくなる。
5.全ての社会人を私有財産がなくなるまで平等に働かせる。産業軍の構成、特に農業の。
6.国立銀行を作って、私有銀行と銀行家を制圧して、債券やお金の中央集権。
7.国家の労働者や資本が増加する同様に国立工場・工房・線路・船の増加、全土地の開墾、既に開墾されている土地の使用の効率化。
8.母から離れる途端から全ての子供の国費の国立施設での子育て。教育も生産も一緒に。
9.国民の公共な家として国土での大きな宮殿の建築。そこで産業も農業も行って、田舎と都市の利益を一方的さや不利点なしで交える。
10.不健康やもろく作られた建物や街を破壊。
11.嫡出子と非嫡出子の平等の遺産権利。
12.交通機関の国の手へと集中する。
むろん、それらの政策は一瞬にして達成できるものではない。しかし、一つをやり遂げたら、次が自然とやり遂げるのだ。私有財産への過激的な攻撃が始まったら、プロレタリアートはどんどん資本を、農業、工業、交通機関、貿易、などを国の手に集中せざるを得ないのだろう。この目的を果たすための政策である。プロレタリアートが生産力を増やせば、増やすほどこれらの政策が可能となり、集中の結果へと導く。やがて、全ての資本・生産・貿易が国の手へと集まったら、私有財産は自ら破棄されてしまい、お金が余計となった時に、生産も人間も古き社会制度の残り物を落とせるほど変わっているのだろう。
質問その19 この革命は一つの国だけで行われることが可能でしょうか?
いな、大産業は既に、世界市場を作ったことで、全ての世界の民、特に文明国の民を、互いに依存しているように繋げた。更に、文明国で社会の発展の程度が、それらの国でブルジョワジーとプロレタリアートを決定的な階級となったほど進んでいる。その二つの階級の争いは今では一大事の戦いとなった。ゆえに、共産主義革命は一国で起きるものではなく、全ての文明国、というと最低限でイギリス・アメリカ・フランス・ドイツで同時に起きる革命であろう。各々の国で違う生産・より大きい財産・より優れている生産力を持つために、違う速度で発展することとなろう。なので、ドイツでは一番遅くて、困難となる一方で、イギリスでは一番早く、簡単にやり遂げる。残ってる国々にも重要な影響を与えて、今までの発展し方を根本的に変えちまい、加速させる。全般的な革命でありながら、全般的な範囲を持つ。
質問その20 私有財産の破棄のやがての結果は何でしょうか?
社会が生産力も交通機関と貿易や配分を資材資本家の手から取って、社会の資源とニーズから成り立つ計画をもっ管理するので、第一位に治るのは今の大産業の最悪の結果である。危機はなくなる、現状の社会で生産過剰という問題である拡大された生産は足りなくなって、更にたくさん拡大する必要になるのだ。哀れを起こすのではなく、生産過剰は最小限のニーズを超えて、全員のニーズを満たして、新しいニーズとそれらを満たす手段を作るのだ。
その破壊は新しい発展の条件と励みとなって、その発展を今までと違って社会の秩序を乱さないで成立させる。私有財産のプレッシャーから解放された大産業は工場が工房と別格に見えるように、別格的に拡大することになる。この産業の発展は社会に不十分なく商品の量を提供して、全員のニーズをっ満たすことになる。同様に自由財産と分地のプレッシャーに疎外されている農業は、既に存在している改善や科学的な発展を実用して、新な躍進をして、社会に十分な商品の量を提供する。
こうして社会の全員のニーズを満たせるほどの商品を作ることになる。社会を複数の対蹠的な階級に分ける必要はなくなる。必要がなくなるどころか、社会を階級に分けることは新な社会制度には不適合である。階級の存在は分業によるものであって、今までみたいな分業なくなる。さき述べた生産の上昇を達成するのには機械や科学の発展だけだと足りない。その発展を実用する人間の能力も同様に上昇する必要がある。前世紀の農民やマニュファクチュア労働者が大産業に巻き込まれたときに生活をひっくり返って、別の人間になったように、全社会で共同的な生産の運営とそれに生まれる発展は新な人間を必要として、そして作る。共同的な生産の運営は今みたいな、一つの業種に従属している、鎖で業種に縛られている、業種に搾取されている、一つの才能を他の才能を見捨てる代わりに発展する、生産の業種の部門しか知らない人間には不可能だ。
今でも既にそういった人間は産業に使えなくなってきてる。共同的かつ計画的に全社会に運営される産業は全ての才能が伸ばされている人間が必要。生産制度の全てを理解できるような人間が必要。すなわち、今でも既に機械によって切り崩されている、一人を農民に、もう一人を靴職人に、三人目を工場労働者に、四人目を投機筋にする分業はことごと消えることになる。教育は若者に全生産制度を速く教えて、社会のニーズや自分の性向に応じて業種を代わり代わりと渡れるようにする。すなわち今の生産制度が誰にも押し付けている一方的さを取り消す。こうして共産主義的な社会はその会員の全才能を発展して、全才能を実用する機会を与える。そのために、階級は必ずなくなる。だから共産主義的な社会は階級の存在が不適合であって、そういった社会を作るために、階級の差を無くす必要がある。
先の話から分かるように、都市と田舎の差も消えることになる。農業と産業が別の階級にではなく、同じ人間に運営されることは唯物的な理由を見るだけで、共産主義的な教会に不可欠だと分かる。都市では産業の人口が集中しながら、田舎では農業の人口が飛散する状況は今にも感じ取れるように未開発した農業と産業に相当する。
全ての社会人の全般的な協会は共同的かつ計画的に産業力を利用すること、産業力を全員のニーズを満たせるほど拡大すること、一人のニーズが他の人のニーズを否定して満たす状況を辞めること、階級とその反対の完全な破壊、分業の破棄や、産業的な教育や、転職や、全員で作った商品の消費に全員が参加できることや、田舎と都市の合同による全社会員の全才能の発展、それらが私有財産の破棄の結果である。
質問その21 共産主義的な社会制度は家族にどのような影響を与えるのでしょうか?
両性の関係をあくまでも本人にしか関しないで、社会が首を突っ込まないべき個人的な関係にする。それができるのは、私有財産を破棄して、子供を共同的に教育するためである。こうして今までの婚姻の基礎、女性から男性への依存性、子供から親への依存性を破壊する。ここには道徳高い俗物の「共産主義的な女性コミュニティ」に反対する叫びへの返答もある。女性コミュニティは全体的ににブルジョア的な関係で、今、売春に完全に存在している。しかし、売春は私有財産によるもので、ともに滅びる。ゆえに共産主義敵な共同は女性コミュニティを作るのではなく、破棄する。
質問その22 共産主義的な共同は現在の国籍をどうする?
本原稿では答えは「変わらない」と書かれている。共産主義への信仰告白の下書き「DE Entwurf eines Kommunistischen
Glaubensbekenntnis」「EN Draft of a Communist Confession of Faith」を見れば読める。
質問その23 共同は現在の宗教をどうする?
本原稿では答えは「変わらない」と書かれている。共産主義への信仰告白の下書き「DE Entwurf eines Kommunistischen
Glaubensbekenntnis」「EN Draft of a Communist Confession of Faith」を見れば読める。
質問その24 共産主義者と社会主義者はどう違う?
社会主義者は3種類ある。1つ目は大産業、世界貿易とそれらに作られたブルジョワ的な社会によって破壊された、そして破壊され続けている封建主義と家父長制の主義者から成り立つ。この種類は現社会の悪を見て、その悪がなかった元の封建主義と家父長制に戻るべきだと結論する。その人達の案はどれもああか、こうか、その目的に目指している。この種類はプロレタリアートの苦しみへの思しき共感と熱い涙は常に共産主義者によって生き生きと反対される。なぜなら
1.完全に不可能な事を目標としている;
2.貴族、ギルドマスター、マニュファクチュア主とそれに伴う絶対的や封建的な王、役人、兵士と司祭の支配を戻そうとしている。その社会は現在の社会の悪がない変わりに、それ以上別の悪があった。その上にその社会は搾取されている労働者の共産主的な共同による義解放の可能性ですらなかった。
3。プロレタリアートが革命家で共産主義者になるときは必ず本省を見せて、ブルジョワジーの味方をして、プロレタリアートの敵となる。
2つ目は現在の社会の主義者であって、その社会が起こす悪による現在の社会の終わりを恐れる。ゆえに目的は現在の社会の維持であるが、それに伴う悪を消そうとする。達成するために単なる福祉処置を提案する一方で社会を編成しなおすことを口実に、現在の社会の基礎、そしてそれに伴う現在の社会を維持したくて壮大な改革を提案するものもいる。このブルジョワ社会主義者もまた常に共産主義者に反対される必要がある。何故なら共産主義者の敵の味方であって、共産主義者が打倒したい社会を庇うからである。
3つ目は民主的な社会主義者であって、質問18に述べた政策の一部に賛成する。しかしその政策を共産主義への一歩ではなく、その政策を現在の社会の苦しみと悪を消すために十分である政策として見ている。その民主的な社会主義者は自分の階級の解放のやり方を完全に理解していないプロレタリアか、民主主義とそれによる社会主義的な政策の達成までに多くの点でプロレタリアートと同じ利害を持った小ブルジョワジーの代表である。共産主義者は行動の時に民主的な社会主義者と話し合いして、今はなるべく一緒に政治をすることになる、その民主主義的な社会主義者が支配しているブルジョワジーの味方をして共産主義者を襲わない限りは。無論、この一緒にする行動は違いの議論を排除しない。
質問その25 共産主義者は残ってる党に対する態度はなんだろう?
その態度は国によって違う。ブルジョワジーが支配しているイギリス、フランス、そしてベルギーでは共産主義者はまだ民主的な党と利害が被っている。その党が目的とする社会主義的な政策は共産党に近い、というとはっきりと堂々とプロレタリアートの利害を代表して、プロレタリアートをベースとする程に利害が一致する。例えばイギリスでは労働者から成り立っているチャルティスト「EN Chartists」は民主的な小ブルジョワジーやラジカルス「EN Radicals」とやらよりも無限に共産主義者に近い。
民定憲法が設けられたアメリカではその憲法をブルジョワジーに対して向けて、プロレタリアートのために使いたい党の仲間をしなければいけない。その党は農地改革者「EN Agrarian
National Reformers」である。
スイスではまだ色んな人が入っている党でありながらラジカルスが唯一共産主義者の利害が似てる党であって、そのラジカルスの中で、特にヴォー州「EN Vaud」とジュネーヴ州「EN
Geneva」のラジカルスが先進的である。
そしてついにドイツではブルジョワジーと君主制の決戦はまだ先だ。ブルジョワジーの支配が始まるまでは共産主義者はブルジョワジーとの決戦を始まれないために、一刻も早くブルジョワジーの支配を招き入れて、一刻も早く打倒する。すなわち、共産主義者は政府に大してブルジョワジーの党の味方をしなければならない。そうするときはブルジョワジーの自己騙しやブルジョワジーからのプロレタリアートへの尊い約束を信じないことを気を付ける必要はある。ブルジョワジーの勝利が共産主義者にとって役立つのは次の2点だけだ。
1.共産主義者に自分の基礎の守備、議論、そして普及をしやすくする色んな譲歩を通してプロレタリアートをより固く団結している、戦える、団体かされている階級とする。
2.君主制度が打倒された日からブルジョワジーとプロレタリアートの戦いが始まる。その日から共産主義者の実政治は既にブルジョワジーが支配している国と同じになる。
___________________
後書き
1.この作品はボランティア活動として翻訳された。支払いを求めていない。
2.(ドイツ語版の1)この作品はマルクスとエンゲルスが共産主義者の同盟の中央機関(シャッパ、バウアー、モッル「DE Schapper, Bauer,
Moll」)やそのパリー支部で「本当の」社会主義っ社である モーセス・ヘッス「DE Moses He�$(D)N」が書き直した共産主義への信仰告白の下書きが気に入らなかったために、エンゲルスは自分で書くように頼まれた。エンゲルスが書いたこの作品は共産党宣言の下書きとなった。