【解説】本書は、トロツキーと官僚派との党内闘争が一時的に沈静化していた幕間の時代にあたる1925年に出版された重要著作の一つである。この幕間の時代は、しばしば、トロツキーがあたかも政治的に不活発であったかのように理解されているが、そうした見方はまったく一面的なものであり、この時期にトロツキーは、精力的に経済運営の実際や国際情勢、文化などについてつぶさに学び、1926年以降の反対派としての決定的抗争の理論的下準備を行っていた。とりわけ、この時期、トロツキーは、ブハーリンの農業優先論およびスターリンの一国社会主義論を批判する重要な視点として、世界市場とソ連経済とを結びつけて経済発展を追求する戦略を練り上げる。この戦略は、最高国民経済会議(ヴェセンハ)の3つの部署――利権委員会、電気技術局、工業科学技術局――の長としての、および品質特別会議とドニエプロストロイ委員会の長としての活動の中から結晶化されたものである。
トロツキーは、以上の諸機関での活動を通して、世界市場の資源を利用して社会主義経済の建設を行なう基本戦略を構築した。これは、ソ連一国の独力での社会主義建設というスターリンの展望、あるいは、農業生産の成長に依存しながら「亀の歩み」で社会主義建設をするというブハーリンの展望と真っ向から対立するものであった。トロツキーは、自分が獲得したこの新しい戦略の基本的内容を、1925年9月に『プラウダ』『イズベスチヤ』『エコノミスカヤ・ジーズニ』への長期連載という形で発表した。この連載は、その年のうちに『社会主義へか資本主義へか』という題名のパンフレットとして出版され(ただし、翻訳の底本にしているのは、1926年に出された第2版である)、このパンフレットはただちに各国語に訳され、日本でも翌年に翻訳が出ている。
トロツキーは、幕間の終了後も、この戦略を一貫して堅持し、その視点は、1927年の反対派の政綱にも、また、1928年の『レーニン死後の第3インターナショナル』でも詳細に論じられている(該当箇所の翻訳については、大村書店刊の『社会主義へか資本主義へか』の付録を参照のこと)。
今回、本書をアップするにあたっては、大村書店刊の『社会主義へか資本主義へか』に多数含まれていた誤植を修正している。
Л.Троцкий, К социализму или к капитализму? (Анализ Советского хозяйства и тенденций его развития), издание втрое, Мос.,1926.
Translated by Trotsky Institute of Japan
第1章 数字の言葉
第2章 われわれと資本主義世界
第3章 社会主義の発展と世界市場の資源 |
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